今年4月、山口県阿武町が住民男性に4630万円を誤振り込みし、その後、受け取った男性が決済代行業者の口座に振り替え、電子計算機使用詐欺罪に問われた事件の初公判が10月5日、山口地裁(小松本卓裁判官)であった。
田口翔被告人はこの日、「今、当たり前の生活ができていることに感謝しています」と語った。その発言の背景を探る。
●傍聴券を求める人々の思い
事件の関心の高さから、この公判は傍聴券が配布された。 公判は15時開始であったが、抽選のための整理券は13時15分から配布され、13時55分に抽選結果が発表された。
私が山口地方裁判所に到着した整理券配布開始の20分前には、すでに20~30人ほどの報道陣が入口を囲んでいた。普段取材に向かう大阪地方裁判所でもこれほどの報道陣はなかなか見ることはない。
裁判所の敷地内を見てみると、通行整理のためのコーンの設置やロープが張られ、多くの職員がその対応を行っていた。敷地内外の報道陣の対応に追われ、また傍聴希望者に裁判所敷地内は撮影が禁止されていることなどを繰り返しアナウンスしていた。
私は整理券を2番目に受け取った。1番目に並んでいた方は、阿武町在住の女性だった。彼女と話していて印象的だったのが、今回の事件で関係者が誰も命を落とすことがなくて良かったと言っていた点だ。人口3,000人弱の長閑な町に連日報道陣がかけつけ、関係者が日ごとに疲弊する姿に心底心配をしていたという。町民もどこか心落ち着かない日々を過ごしたといい、今回の裁判傍聴はその騒動の節目として考えたいと言っていた。
最終的には37枚の傍聴券に対して、200名強への整理券配布となった。残念ながら彼女は抽選に外れ、私が当選した。
●事実に争いはないが
被告人は黒のスーツに身を包み、開廷時刻の2分ほど前に入廷した。保釈時の長髪で乱雑な髪型とは異なり、同じく長髪ではあるが両側を刈上げ、そのほかの髪を後ろで束ねて、すっきりとした印象を持った。
表情には若干の緊張が見て取れるが、終始真っすぐを向いていた。この姿勢は、自身が苦しい場に立たされる公判の最後まで貫いていた。
今回、罪に問われている内容は、阿武町より被告人宛に誤って入金された4,630万円を、①それが誤って入金されたものなので行員等に告知すべきところをせず、②オンラインカジノに使用するという正当な理由でないにも関わらず、インターネットバンキングなどを通じて、別の口座に振り替え、不法な利益を得たというものである。
罪名は「電子計算機使用詐欺」で、一般的にはあまり知られていないものかもしれない。人を騙して財物の交付を受ける「詐欺罪」に対して、コンピューターやスマートフォンなどの電子計算機に対して、虚偽の情報や不正な指令を与えることで財産上不法な利益を得るという内容だ。
事件内容を読み上げられ、罪状認否にて意見を求められた被告人は、「振り込み操作をしたのは、私であり間違いありません。大変申し訳ないことをしたと思っています」と事実に誤りがないことを素直に認め、謝罪の言葉を口にした。その上で「法律については、弁護士の先生によろしくお願いします」と回答を委ねた。
弁護人は被告人同様、事実関係に争いはなしとした。しかし、法的評価、罪の成立については争うと発言。上記の①、②などの行為や虚偽の情報を入力した訳ではないので、電子計算機使用詐欺が定める要件には満たないという主張だ。
●銀行に着くなり態度を変えた被告人、母親の説得にも応じず
検察官が提出した証拠により事件の流れを大まかに説明する。
被告人は1世帯当たり10万円が支給される、住民税非課税世帯に対する特別給付金を申請し、10万円の交付を受けた。しかし、それとは別に4,630万円が被告人口座に入金されてしまった。町は、事態を把握して即座に被告人に電話をするもタイミングが合わず、直接被告人の自宅に訪問して、在宅していた被告人に謝罪をした。
振込手続き完了後に誤りが発覚した場合、その取引を取り消すための「組戻し」という手続きがある。そのために現金の受取人である被告人の同席を依頼し、銀行へ向かった。しかし、銀行に着くなり被告人は態度を変え、「急にそんな大金の話をして詐欺ではないか」、「弁護士に相談する」などとして組戻しには応じなかった。
その後、被告人は自身のスマートフォンで、誤入金された預金残高を確認して決済代行業者に入金。幾度もの町の説得や、母親の説得にも応じず、デビットカードの利用上限額も変更し、より多額の現金を移行できるよう銀行振込なども行った。
●証言台に立ち、肩を震わせた母親「今後もサポートする」
一方、弁護人は罪の成立を争うのとは別に、「町とは和解が成立している点」、「社会内で更生を目指している現在の就労状況」、「被告人の反省状況や生活環境における監督」などについて立証した。
情状証人として、被告人の母と、現在就労している会社の代表が証言台に立った。現在、被告人と同居している母は、被告人が母の監督指示に従っていることを証言。
また、朝から夕方まで被告人が家でリモートワークや、上司とオンライン面談しているなど他者との関わりを持ちながら従事している様を見て、「このような中で生活をさせてもらい感謝している」と証言。事件以降、家の周りや外出する度に報道陣にカメラを向けられ、普通の生活ができなかったと肩を震わせながら証言する母には、長く辛い時期が続いていたことが十分に想像できる。
「今後も被告人の生活をサポートし、迷惑をかけた人たちへお詫びや、サポートしてくれた人への恩返しをする」と証言した。
もう一人の証人である職場の代表は、被告人には在宅ワークをさせているが、クラウド上の勤怠、面談、日報などで勤務を管理、把握していると証言。パソコンスキルの向上度合いや、現在の勤務態度が続けば今後も雇用を継続することなどを証言した。
●「今、当たり前の生活ができていることに感謝しています」と語る被告人
ここから被告人本人の証言に移る。事件をどう捉え、どのような反省の弁を述べるのか。
弁護人「誤入金があった日、何があったか説明してもらえますか」
被告人「その日は仕事が休みで、家で寝ておりました。すると昼過ぎに家のドアをドンドンと叩く音がして、職員が来ました」
弁護人「そしてどうなりましたか」
被告人「誤入金をしたということで、10数人の印鑑がついてある紙を見せられました」
弁護人「そしてどうなりましたか」
被告人「印鑑と免許証を持って銀行へ行きましょうと言われました」
弁護人「銀行へ向かう車中ではどんなことがありましたか?」
被告人「私は基本的に後部座席で黙ってました。前の座席ではずっと電話で何時になりそうだなどと話していました」
弁護人「そのとき、あなたはどんなことを考えていましたか?」
被告人「誤入金の経緯の説明があると思っていたのですが、それが無く不安が募っていきました」
仕事をする上で、このような思惑の不一致は私も多く体験するため、ここまでの説明には納得感があった。
弁護人「いつ口座の入金を確認しましたか」
被告人「職員と別れてから、アプリで残高を確認しました」
弁護人「その後、1回目の入金手続きをしましたね」
被告人「はい」
弁護人「そのときの気持ちは?」
被告人「不安や、なんだかわからないことのストレスがあり、そのことを考えたくないという気持ちがありました」
弁護人「町の対応にストレスが溜まっていた?」
被告人「はい」
弁護人「だとしてもあなたがしたことは、今、思うとどうですか?」
被告人「一つの安易な行動で多くの人、家族や知人などに迷惑をかけてしまい反省しています」
ストレスから逃れたい気持ちから、このお金を使ってしまうという行動の関連性は少し理解が難しい。この点は検察官とも以下のようなやりとりがあった。
検察官「ストレスに感じたのであれば、すぐ返せばそんなこと考えずに済んだのではないですか?」
被告人「仰る通りなんですが、そのときは考えられませんでした」
検察官「供述では『困らせてやりたい』と言っていたようですが」
被告人「いえ、そのようなことはありません」
その後、被告人から過去にも突発的な行動をとってしまう傾向があったとも語られた。
弁護人「民事裁判での解決金はどのように準備したのですか?」
被告人「YouTuberのヒカルさんから借りました」
弁護人「今後、ヒカルさんへ返済していくのですか?」
被告人「初めての給料からも返済しました」
弁護人「仕事している今の状況をどう感じていますか?」
被告人「今、仕事ができていること、借りたものを返せていること、いろんな人の手を借りて当たり前の生活ができていることに感謝しています」
公判の中で、被告人から何度も謝罪と反省の言葉が出たのだが、私はこの最後の言葉が一番響いた。
返すべきものを返す。当たり前のことであるが、それが出来てこなかったのがこれまでの被告人だ。しかし、それを当たり前と認識し、感謝するという心情は、本当に思っていないと口にできないのではないか。絶対に再犯をしない立証など不可能であるが、この気持ちを口に出来る今は更生できると信じたい。
●事件の悪質性にどう向き合っているのか
続いて検察官からの質問だ。検察官からは、その金銭の使用において悪質性があったかに争点を絞っていた。
検察官「町の職員に対して不満を持ったと言いますが、具体的に何が不満だったのですか?」
被告人「まず私の職場に確認に行かれたこと。そして休日は長時間寝ているのでその中で対応したことなどです」
検察官「あとは?」
被告人「車中で詳しい説明をしてくれなかったことです」
「以上ですか?」と聞く検察官の声色からは、「そんなことで?」という意味も含まれていた。それを感じ取った被告人は、必死にさらなる回答を探すが出てこない。
検察官「銀行の前で、弁護士に相談するからと組戻しに応じませんでしたね」
被告人「はい、弁護士というか誰か相談できる人にという意味で」
検察官「でも、その日のうちに相談してないですよね」
被告人「はい…」
検察官「その日以降、あなたは町からの繰り返しの電話に対して『会うのは難しいので書面で送って欲しい、弁護士に見てもらう』などと言いましたね」
被告人「はい、そのようなことを言ったと思います」
検察官「実際に町から届いた書面を弁護士に見せたのですか?」
被告人「いえ、見せていないです」
検察官「町はあなたの言うことを行っているのに、あなたは町の言うことをしていないのですか?」
被告人「逮捕までに、相談などはしたのですが…」
検察官からの質問は、当時の被告人の行動が突発的であったことを引き出すには十分であったと思う。
被告人も、答えがスムーズに出ないことはあったが、下手に取り繕うこともなく、出来る限り答える姿勢は見せた。
次回公判は12月27日に行われ、検察官の論告、弁護人の最終弁論、被告人の最終陳述が予定されている。